或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

祖母が亡くなりました。

昨日の早朝、母方の祖母が亡くなりました。

数え年で90歳。とても長生きでした。

 

はじめのうちはあまり実感がないというか、他のことを考える余裕もあったんですが。

夜にこうして1人で考えてると、やっぱり悲しい。

 

 

小学生の夏休みは、妹と一緒によく祖父母の家にいました。

おじいちゃんは商人で、着物や宝石の卸売をしていたそう。

紙やすりでメノウの磨き方を教えてもらって、頑張って磨いてました。

ピカピカにすることは出来なかったけど、今もそのメノウは私の家の玄関に飾ってあります。

 

小さい時は遠くの大きな公園に連れていってもらったり、いっぱいかわいがってもらいました。

厳しい人で、テレビを近くで見たり、畳に靴下で上がると怒られたような記憶があって、ちょっと怖いイメージがありました。でも、なんで靴下だと駄目だったんだろう。

 

おばあちゃんは反対に、穏やかで優しくて、よく鼻歌を歌いながら家事をしてたのが印象的でした。

ミシンが得意だったと母によく聞きました。

泊まりに行った時は一緒に朝ご飯を作って、私はよく卵焼き?卵そぼろ?みたいなものを作ってました。

田舎の独特な風味の味噌汁が忘れられません。

 

 

母は3人兄妹の末子。兄が2人いて、2人とも独身。

長男は県外で働いていて、次男は実家で暮らしながら飲食店を経営してます。

大学に行ったフリをしながら飲食店で修行をしてたというような話を聞いたことがあって…なかなか破天荒な人です。

叔父さんにもいつもかわいがってもらってました。

 

祖母は高齢出産だったそうで、母は自分のお母さんが周りより高齢なのがコンプレックスで、私を若いうちに産んだそう。

祖父母にとって私たちは唯一の孫で、可愛くて仕方なかっただろうと思います。

 

祖父は、私が高校を卒業する年に亡くなりました。

東日本大震災の少し後で、もう13年になります。

晩年は脳梗塞で入院していて、後遺症で私のことも分からなくなってました。

それが受け入れられなくて、お見舞いはその一度きりでした。

 

祖母は、それからは叔父さんと2人暮らしでした。

叔父さんは仕事で家を空けてしまうので、祖母は近所のお友達や祖母のお姉さん(伯祖母)とよく話してました。

 

だけど、そんな祖母も認知症になってしまって。

身体がいうことを聞かないようで「こんな身体になるなんて」と言っていたのがあまりにも悲痛で…

 

2日に1回施設に行って、家にいる時も寝ていて電話に出なかったりして…

伯祖母は、家にいるのかどうか分からないと言っていて、近所なのになかなか会いにいけてない様子でした。

 

そんな状況に危機感を覚えて、母に「おばあちゃんに会いに行ってあげて」と伝えたり。

私は地元を出てしまって、時々会いに行くしか出来ないのが心苦しかったです。

 

伯祖母は、二世帯住宅で娘一家と暮らしながら、ひ孫もいるのですごく元気。

1人でオムライスを食べる姿が印象的でした。

 

祖母は寂しかったのかもしれない。

祖母がもう少し若いうちに旅行に連れていってあげられたら…

私が健康で子どもを持っていて、ひ孫の顔を祖母に見せてあげられていたら…

今となっては叶いません。

 

両親と温泉に行く時とかに、おばあちゃんとも一緒に行きたいって言えていたらよかった。

膝が悪くて難しかったかもしれないけど…

 

だけど、祖母は母のことは忘れてしまっても、私と妹のことは覚えてくれてました。

私が夫と一緒に会いに行ったことを、翌週になっても覚えてくれていたり。

妹が静岡で暮らしてることもちゃんと覚えていたり。

 

人は、一番印象深い記憶をよく覚えてるそう。

私や妹と過ごした時間が、祖母にとって印象深かったのだと思うと嬉しくて、だけど胸が苦しくて。

 

認知が進んで施設に入ってからは、さっき食べたのがプリンなのかヨーグルトなのかも分からなくなったり。

トイレに行って転んだ、と言いながらも、本当は床でしてしまっていたり。

 

もう良くなることはないのかな、と思ったけど、毎日体操して顔が明るくなったり、足のむくみも良くなって。

そこに希望を見出したけど、他の入所者の人に、「車で家まで送ってってくれよぉ」と頼んでいたと言ってたりして。

やっぱり家に帰りたかったのかと思うと胸が痛くて。

 

だけど、老人ホームのスタッフさんはみんな明るくて優しい人たちでした。

祖母のことをヒサちゃんと呼んでくれて、あたたかいなと思いました。

 

体調が悪いと聞いたのは一昨日のこと。

2月末に脳出血して手術したけど、ずっと寝たきりでほとんど食べられていないと母に聞かされました。

 

なんで言ってくれなかったんだろうと思ったけど、母もきっと良くなると思ってたのかもしれない。

母は、老衰だと思う、何日ももたないと思うと言っていたけど、身内の予感は当たるもの。

翌早朝に亡くなってしまうなんて。

 

このまま眠るように亡くなっていくんだと思った、と母は言っていて、きっと苦しまなかったと。

 

手術して退院する日に転んで頭を打って、目のところがアザで黒くなってたそう。

そのアザもずいぶん良くなったそうだけど、まだ少し残っていた。

だけど、肌はつやがあって、とても綺麗だった。

 

 

祖父母との思い出を思い出すと、声を上げて泣いてしまいます。

忘れてはいけない大切な思い出。

学校は辛かったけど、祖父母の家で過ごす時間は本当にかけがえのない時間でした。

 

父方の祖父母を亡くし、母方の祖父母も亡くしてしまった。

歳をとるとはこういうことなんだと思った。

大切な人との別れが増えていく。

 

大切な人は、いつまでもそばにいてくれるとは限らない。

出来るうちに出来るだけ、後悔しないように一緒の時間を作っていかないといけない。

 

それは、若い人でも同じ。

人生何が起こるか分からないし、人には言えない悩みを抱えた人もいる。

 

大切な人とはできるだけ一緒の時間を過ごしていきたい。