或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

Twitterやめて1週間経った

Xのアカウントを消して1週間経った。

フォロワーは気づいてないのか特に触れていないようだった。

 

Xのアカウントを消すのに抵抗があった理由として、帰る場所がなくなるような感覚があった。

だけど、元から帰る場所なんかじゃなかったのかもしれない。

 

Xをやってると病んでしまって、「ここにいるべきではない」と思うようになっていった。

Blueskyとブログをメインにしてみて、Xをログアウトして1週間とか見ないような時期もあった。

するとそっちの方が幸せで、Xを見ると嫌な気持ちになることが分かった。

 

リムーブしたフォロワーとの関係に悩まされていたのもあるし、執着してたフォロワーに振り向いてもらいたかったのもある。

 

最後は躁鬱混合状態の勢いでのアカウント削除だったが、結果的にこれで良かったのかもしれない。

 

寂しさはあるが、Xをやっている時点で満たされない寂しさを感じていた。

思い出にしてしまうことで、穏やかな気持ちになれるのかもしれない。

 

私は「こう思われてるかもしれない」と常に不安を感じながら生きてきた。

その不安は杞憂だったこともあるが、近年は不安通りになってしまったことも多く、フォロワーとの関係が切れることも多かった。

 

本アカは疲れてしまって数ヶ月前から見ておらず、パスワードを替えて放棄した。

鍵アカのフォロワーにもどう思われてるか不安で、Xの表示アルゴリズムもあって疑心暗鬼になって疲れてしまった。

 

不安になる関係は私には向いていないのだと思う。

それに、自分で自分を落とすような言動をしすぎてしまった。

以前のように自然体で接することはできないのかもしれない。

 

顔見知りの友人や、このようにさらけ出しても受け入れてくれる方々と交流していた方が楽なのかもしれない。

顔が見えない、リアクションも無いと不安になってしまう。

 

私はブログに救われている。

人の文章を読んでると気が紛れるし、共感して心が救われたり、自分とは違った価値観に触れられて学びになる。

 

このように暗い気持ちも、文章化して作品にすることで自分でも受け入れられるようになるし、いつもスターなどでリアクションしてくれる人のおかげで救われている。