見守るつもりが見てみぬフリになっていませんか?
身近につらそうな人や、常に病んでる人がいた時。
昔の私は自分に自信がなかったので、自分なんかが声をかけていいのか、なんて声をかけたらいいのか分からず、何もアクションを起こせずにいました。
結果、まだ若いフォロワーは自ら命を断ちました。
本当は生きていたのかもしれないし、ただSNSをアンインストールしただけかもしれないけど、宣言に気づいて声をかけても返事がかえってくることはありませんでした。
私が声をかけていたら何か違ったのかもしれない。
私にはそんな力はないとも思うけど、病んでいる時は誰かが声をかけてくれるだけで救われるもの。
病気を患った今だからこそ分かります。
ギリギリで手を貸そうと思っても、その時には手遅れかもしれない。
本当はうっとうしいとか、かまってちゃんって思ってるかもしれないけど、本当に実行してしまうこともあるのが精神疾患。
それからはおせっかいと言われても上等、自分にできることはやるという精神になりました。
だけど、アドバイスや相談に乗るのも、少し間違えればおせっかいや余計な口出しになってしまう。
アドバイスをして喜んでもらえると、それが自己肯定感にもつながるけど、行きすぎるとそれ自体が依存になる。
自分自身も欠けた人間なので、人をコントロールしたい欲求も出てくる。
それが人の役に立つことならいいけど、正義感や義務感にとらわれすぎると攻撃的にもなってしまう。
結果、昔からのフォロワーと関係がこじれてTwitterをアンインストールしました。
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SNSをやってると色んな情報が目に入ってくるので、色んなことを考えます。
例えば誹謗中傷や誤情報。
見てたら放っておけない。
いつしか、自分の手に負えないレベルまで義務感を背負うことになってしまいました。
私は有益なアドバイスをくれる人だと思われてたようですが、行き過ぎた正義感は恐ろしいとも。
その通りだとも思うし、かと言って困ってる人もいるのに見てみぬフリはしたくないという思いの狭間で葛藤しました。
結果、Twitterを消してしまおうと。
そうしないと心が保たない。
SNSを見なければ、自分が現実世界で見える範囲以上のことは目に入らなくなります。
余計なことも考えずに済みます。
Twitterの人間関係に執着してたけど、肝心な時に見て見ぬフリされるような希薄な関係よりも、自分のことを思って声をかけてくれる家族や友人との関係を大事にしたほうがいい。
そう思うようになりました。
所詮、SNSは娯楽だから自由に始めて自由にやめればいい。
フォロワーは友達ではない。
どんどん冷めていきました。
友達と言ってくれた人も、寂しいと言ってくれた人も、所詮はTwitterというプラットフォーム上だけの関係です。
そういう希薄な関係にいつまでも縋りついて、自分の精神をすり減らすのはもうやめましょう。
私は救ってくれる人がいなかったから、自分が救う側になって必要とされたかったのかもしれない。
本当は自分がしてもらいたかったことをやっているのかもしれない。
今は救ってくれる人がいるけど、救ってくれる人は多いほうがいい。
救ってくれる人を増やしていきましょう。
身勝手かもしれないけど、人間関係は自分で選べる物。
自分がそこに居て惨めにならない場所を選んでいきましょう。
自分の誤ちを思い返すと苦しいけど、SNSをやめれば二度と会うこともない関係。
二度と会わない人にどう思われようが、もう関係ないのです。
過去は忘れて、次に同じ誤ちをしないように気をつけよう。
おせっかいと言われても、見て見ぬフリするよりはずっといい。
それが言葉の刃にならないようにだけ気をつけよう。
そう自分に言い聞かせる。
She told like she remind Herself.
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