【トラウマ記事です。】
読んだ方にもいじめや家庭トラブルの記憶がフラッシュバックする可能性があるので、苦手な方はブラウザバックか後半は飛ばして頂くことを推奨します。
ブログメインにしてXで発信するのを控えたら、通知来ないのが当たり前だから通知を気にしなくてよくなって気が楽になった。
けど、それでもSNSとか何かしら見る癖は治らない。SNS依存が治ったら次はスマホ依存。
とりあえず、Blueskyからはてなブログフィードを見ることにした。あえてBlueskyをやってる人は、SNSとか人付き合いに疲れた人も多いだろうから、共感できる。
本題に入る。
私は自分に自信がない。
仲が良い人や同僚にどう思われてるか異常に気にする。
言葉の意図を深読みしすぎて、空回りしてスベったりする。
あと、遠慮しすぎて人に声をかけられなくなる。
遊びの誘いはもちろん、仕事の相談も上司が忙しくなさそうなタイミングとかを考えてると、なかなか声がかけられなくて、報告が遅れて迷惑をかけたりした。
恋愛でも、どこに行きたい、何がしたい等もなかなか相手に言えなかったし、自分が嫌で我慢してることも飲み込みがちだった。
受け身だと言われたことがある。
どうして受け身になったのかと考えてみたら、おそらく自分の望みが叶わなくて諦めるようになった経験が影響していると思った。
元彼の場合、出かけたいと言ったら連休は混んでるから嫌。仕事があるから日曜は休みたい。海に行きたいと言ったら太ってて自信ないから嫌…。
ゲームか映画くらいしか選択肢がない。
だけど同僚からの飲みの誘いは断れない人。
今思うとやっぱりクソだな〜と思うけど、インドアで仕事命な相手は普通にミスマッチだったな、と今では思う。
だけど、受け身になったのはもっと昔からで、根深い原因があると思う。
例えば、習い事はお金がかかって両親の迷惑だと思っていて、何かやりたいと言ったことはなかった。
だけど、妹はピアノをやっていて、本当はピアノを弾ける妹が羨ましかったけどやりたいと言い出せなかった。
小学校高学年では仲の良い友達とクラスが離されて、さらにいじめられて、担任も厳しいという地獄だった。
担任は私の父の部活の先輩で、体育会系。
私がクラスのほぼ全員から避けられていても、私に問題があるというスタンスだった。
実際には親の育て方に問題があるというスタンスだけど。
母は、担任から習い事に行かせるべきだったと言われて反省したらしい。
実際に問題のある子どもだったと思うけど、いじめって家庭環境で直されなかった癖とか服装とか喋り方とか、本人の力だけじゃどうにもならないことが原因になってるもので。
癖をイジられても、癖をやめればいいという風にはできなかった。癖になってるし親にも注意されなかったから。
慢性鼻炎のせいで鼻をほじる癖があって、親も躾けてくれなかったので直せなかった。
髪をいじる癖は母親が助長した。私のクセ毛やアホ毛を探しだして勝手に切る人だったので、自分でもコンプレックスになって、授業中に抜くようになってしまった。
服装も自分で選べなくて、というより母親が自分の好みで選んでたので、子どもらしくない地味な服を着せられていて、自信が持てなかった。
母親は、アーガイル柄のニットとか、イエベ秋みたいな茶色系の色合いの服が好きなのだ。
おばあちゃんが着てる服みたいな。
おまけに学校では、声がキモいとか、障害者だと思ってたとも言われた。
トイレ掃除中に水をかけられたり、掃除用品を投げられても、後輩がやったと嘘をつかれて何も言い返せなかった。
いじめてきた本人も、私をいじめたくせに後から仲良くしようとしてきたり、虚言癖や盗癖のあるろくでも無い女だった。
私に問題があるのは事実だが、こんなやつにされたことを甘んじて受けろとでもいうのか。
きっと担任も私がここまでされていたとは把握してなかったと思うけど。
担任は、私に一日の反省を書かせることにこだわったが、書けなくて真っ暗になるまで居残りさせられて、書けたと嘘をついて帰ったこともある。
正直、担任の教育でも本人の努力でもどうしようもないのに、担任が心配して優しく声をかけてくれたりとか、味方になってくれる様子もなくて辛かった。
しかも、母親にもいじめられてることは言えなかった。
「アンタ、いじめられてないよね?」と言われて、とっさに否定した。
ただでさえいじめられるのは恥ずかしいと思ってたのに、そんな言い方されたら余計に言えない。
習い事ができていたら少しは違ったと思う。
特技があると自信になるし、習い事を通して人付き合いを学べたかもしれない。
だけど、根深すぎてそれだけでは駄目だったとも思う。
なぜ自分から習い事に行きたいと言えなかったのか。
きっと、どこかで両親がお金がないと言ってるのを聞いたか、欲しいものを高いと言われて買ってもらえなかったんだと思う。
だから、親に迷惑はかけられないと思っていた。
サンタさんがくれるゲームが唯一の楽しみだった。
だけど、私が家事を手伝わないことにヒステリーを起こした母親に、サンタはいない、買ってやってるんだと言われて大泣きした。
この経験は本当に辛くて、思い出したら涙が止まらなくて記事を書く手が止まってしまって、思わず注意書きをつけた。
なんで小学生の子どもにこんなひどいことしたんだろ。
自分がされてると思うと耐えてしまうけど、小学生の子どもだと思うとあり得ないと思う。
お金のことで自分の選択肢を諦めるのは、将来の夢や職業にも影響した。
小学校1年生のときの将来の夢は、ケーキやさんになることだった。
だけど、学校の授業で職業研究をしてると、専門学校に行かないといけないし、現実的に食っていけるのかという現実的な問題を考えて、自然と選択肢から無くなっていた。
勉強しなくてもいい成績が取れてたけど、勉強したくないし大学進学もお金がかかるので選択肢になくて、進学校は諦めていた。
中学時代はパソコンでゲームをしてたので、パソコンを使った仕事が向いてそうとか、食っていくのに困らないと思って、情報系のコースがある高校に進学した。
変えてくれたのは高校の生物の先生だった。
私は理科の授業が大好きで、知的好奇心が旺盛だからと進学を強く勧めてくれて、親も応援してくれた。
とはいえ、地元の国立大学の特別推薦枠は小論文で、普通に落ちた。
バイトもしたことない高校生にマーケティングの話は無理だ。
その後は母親と一緒に情報系の専門学校の説明を聞いて、資格取得で学費が半年免除になる、おまけに専門学校のわりに学費が良心的で、ここに入りたいと思った。
だけど、コースの担任は体裁を気にして県内のレベルの低い公立短大を勧めてきて、私より体裁が大事なんだと思って冷めたのを覚えている。
面接対策はしたけど、余裕で合格した。
最初こそ勉強の意欲はあって資格も取ったが、後半は友達と遊ぶのが楽しくて授業のモチベもなくなって、後は恋愛で病んだりもして、結構単位ギリギリで卒業した。
ITエンジニアとして就職して、3社目の転職先で病気でドロップアウト、非正規でITに復帰するもまたドロップアウト。
妥協で選んだIT系が良かったのかどうかは今も分からないけど。
アラサーになった今でも一緒に遊べる素晴らしい友達に巡り会えたのは、私の人生の宝物だったと思う。
受け身な性格の記事だったっけこれ。
いつの間にか半生を語る記事になりがち。
本当は生物系の仕事とかしたかった。学者とか。
でも、数学が苦手だったから受験は無理だと思ってた。
理科だけで受験できる学校もあるとテレビで見て、こういうところを知ってたらなと思った。
今年の年始、母には、遠慮して習い事も進学も諦めていたこと、本当はピアノがしたかったこと、いじめられていたことを打ち明けた。
ごめんね、駄目なお母さんだね…と謝られて、母も若かったし、子育ても手探りで頼れる人も少なくて辛かっただろうなと思った。
この歳になってようやく大人になれたかもしれないって思うんだ。
20代前半で私を産んだ母の気持ちも今なら分かる。
父の実家もお金が厳しくて、父は進学せずに高卒で働いていたと聞いた。
だからこそ両親は、学資保険で私達のために蓄えてくれていたのだと知った。
私は、両親が進学の準備をしてくれてたことを知らずに遠慮していた。
お金のことで何か買ってもらえなくて遠慮するようになったかもしれないと言ったら、母も言ったかもしれないと、扶養なんて気にせず働けばよかったと言っていた。
ITは私にとって、親に遠慮して夢を諦めて現実的に考えて選んだ職業。
だから今でも向いてないって悩むんだと思う。
同級生は会社が悪いと言ってくれたけど、原因はもっと根深い。
多分だけど、親に遠慮して選んだITを脱して、本当に自分がやりたい仕事ができれば、受け身で遠慮がちな性格も克服できるんじゃないかって思った。
とはいえ仕事なんて、そんなことも言ってられないとも思うけど。
自分に向いてるか向いてないかなんて考える余地もなく、やるしかないって人も多いと思うし。
いかん、現実的な性格が出た。
ひとまず思うのは。
仕事じゃなくてもいいから、何か自分のやりたいことを形にして結果が出せたら力になりそう。
私だったら絵とか歌とか。あと文章も?
一日の反省が書けなかった私も、ここまで書けるようになりました。
だから、もし先生がここ見てたら安心して下さい。
なんとか生きてます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。