或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

自分が醜い

見捨てられ不安と白黒思考が戻ってきている。

 

友人から返信がこなくなるとたまらなく不安で、何か間違えたのかも、返信しにくい内容だったかなと不安になる。

 

そこからさらに時間が経つと、友達だと思ってたのは自分だけだったんだ、自分は人間関係が下手すぎる、人間関係に恵まれてない、などと悲観したり相手を悪く思ってしまったりする。

 

だけど、相手にも生活はあって、限られた時間の中で文章を考えてたらすぐには返信できないわけで。

 

優しい返信がきて、自分の考えすぎだったと分かると、自分はなんてことを考えてたんだろうと。

自分自身の醜さに絶望して、消えたくなる。

 

信じてた人から捨てられるのは怖い、自分から一人になれば捨てられることもない。

私は醜態を晒しすぎて、本心ではなんて思われてるかも分からないし呆れられてるだろう。

誰も私のことを知らないところに行きたい。

 

そういう破滅的な思考になってくる。

孤独を選べば絶望しかないと分かっているのに。

 

だけど、一人でいれば人間関係に不安になることはない。

新しい人間関係を作るのも悪いことではない。

こうも思う。

 

ただ、今思うのはひとつ。

面倒くさい。

 

自分のことも面倒くさい。

行動するのも面倒くさい。

 

何も考えずに眠れたらいいのに。

 

人に気を使いすぎるのをやめられたらいいのに。

 

両親の機嫌を取って生きてきた癖は、なかなか治りません。

考えすぎるのは苦しい。

 

会いたい人に会いたいと、話したい人に話したいと素直に言えて、受け入れられる世界だったらいいのに。

 

受け容れられないのが怖くて、私はもう踏み出せない。

これまでの関係が壊れるのが怖い。

 

醜いところ全てを晒しても、

晒さずに済むほど美しい技能を持ち合わせても、

 

いつの日か受け容れられたいな。