或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

実家の断捨離、アクセサリーと傷んだイチゴ。父がしんどい話。

今日は母と妹とモールでランチとショッピングをしてきた。

今月は服をたくさん買ったので服は買わず、猫の首輪とスタバのドリンクだけ買ってきた。

 

そんなに買わなかったのであまり見てないような気がしたが、モールを出る頃には16時前だった。

 

ショッピングに行くと刺激が多くてノルアドレナリンが出るのでその場では疲れを感じないが、後から疲れが出てくるだけでも、デパケンの効果は出ていると思った。

 

帰ってきて断捨離した

 

帰ってきて母と妹は疲れて寝ていた。

私も疲れていたが、17時台と昼寝には遅い時間。

夕飯まで時間あるし暇だし、外の空気でも吸いに近所のアベイルまで散歩に行こうかとも思った。

だが、今月はたくさん服買ってるし、服買う前に実家の自室の断捨離が先だと思って断捨離した。

 

捨てた物

 

しまむらやアベイルなどの安物の服についてきたネックレス。

アクセサリーは使い回せるので残していたが、10年以上前の物もあるし安っぽいので、気に入った2個を残して捨てた。

 

 

それとガラクタ類。

 

親にもらって使わなかった肉球マッサージャー、謎のコード、ボロボロになったヘッドセット、おもちゃの双眼鏡、本体がないバッグの肩紐。

それと服についてきたリボンベルト2本。ベルトは自分で買って気に入った物があるし、趣味が変わったのでもう使うことはない。

 

 

プラスチックのジュエリースタンド。

かかっていたネックレスは父にもらって全然使ってないので、売ることにして撤去した。

スタンドは処分することに。

 

 

ジュエリーボックスの中身

 

このスタンドの下のジュエリーボックスは、子供の時に集めた物や親にもらった物が入っていた。

 

私は子どもの時、ポケモンでいう『ものひろい』の特性があり、道端で見つけたきれいなガラクタを拾って集めていた。

デコレーション用のきらきらしたプラスチックとか。

20年も経って、とっておく理由がないので処分した。

 

キティちゃんのミラーやガラス製のインテリアなど、処分に困る物は保留にした。

壊れたストラップも入っていたが、お気に入りだったので捨てずにそのままだった。リメイクしたいところ。

 

祖母にもらったジュエリーボック

 

更にその下には、亡き祖母からもらったオルゴール付きのジュエリーボックスがある。

左側に引き出しが2段、一番下が指輪入れ。右側はネックレス掛けになっている。

 

引き出しを開けるとオルゴールの音が鳴る。

それを聞くと祖母のことを思い出して辛くなるので、中身を取り出してすぐに閉めた。

今も思い出して泣いてしまった。

 

オルゴールが鳴る引き出しには、子供の頃のおもちゃのネックレスが入っていた。

なんとなく捨ててなかったが、とっておく理由もないので処分した。

 

丸カンは爪で簡単に外せるので、プラスチックのチャームだけ捨てた。

チェーンは持ち帰って金属ゴミにするか、何かしらに使う。子ども向けだから無理に使う必要もないが。

 

2段目の引き出しにはストラップ類。

自分で買った勾玉の物や沖縄で作った浮き球の物。

誕生日やお土産などで友達にもらった物。

親や祖母にもらったお守り。

 

この辺りはものすごく処分に困るが、貰い物なので、せめて丁寧に分別しようと思う。

 

お守りは未使用のままでもったいないし、亡くなった父方の祖母からもらった物もあるので、有り難く使うことにする。

浮き球とシーサーのやつは、リゾートインテリアに迎えようと思う。

 

 

 

指輪は2個だけ使えると思って残してあったが、やはり子どもっぽいので処分した。

 

ネックレス掛けは使ってなかったが、下の方に祖父にもらった水晶の兎などがあった。

祖父との思い出なので、持ち帰って飾ってあげたい。

 

捨てられない物

 

木の魚のネックレス。

普通の魚と、魚の骨。元は別のネックレスだったが、片方を紐から外して一つにした。

 

 

服についてきたと思われるネックレスは以前も断捨離したが、これだけはどうしても捨てられない。

いつからあるのかもよく分からない。

 

ただ可愛い。

実家に置いとくだけだと可哀想。

なんとなく、夫に使うか聞いてみる。骨格やパーソナルカラー的に自然素材が似合いそうなので。

 

父が衝動買いした死にかけのイチゴで米粉蒸しパン

 

父は無駄な買い物が多い。

部屋にある使ってないネックレスも、ほとんど父にもらった物。

今回も中国産の懐中電灯とか、食べないお菓子とか大量にもらった。

 

父が買ってきた半額のイチゴ。

半額で2百円くらいになっても2パックも買ったら安くない。

食べずに放置されて余計に傷んでるし、妹は果物嫌いで食べないので、2パック買っても意味がない。

 

母が冷蔵庫を整理していて食べるか聞かれたが、既に夜21時近く。

眠剤が胃酸で弱まるので、夜遅い時間は食べれない。

蒸しパンにして明日食べようと提案。

 

米粉はあったので無事作れると思いきや、母はずっとお菓子作りをしてなかったのでベーキングパウダーがないことが発覚。

卵白を泡立てて膨らませることにした。

米粉の入れ忘れに気づいて後から入れたせいかダマになったりと、やたら時間かかってしまったが無事完成。

 

欠片を少しだけ食べたら美味しかった。明日食べる。

卵白で膨らませてるから、明日になって潰れてるかもしれないけども。

洗い物が増えてしまったが母は喜んでくれた。食洗機があってよかった。

 

 

 

よく堪えられました

 

私は実家に帰ると度々不安定になる。

父がアル中だし、たまに母をバカにするような責めるような言い方をするのだ。

 

以前の私は、そんな時は父を怒鳴りつけて黙らせていた。

親の言うことにはうんうん頷いてた子どもだったのに、成人してからはまるで別人になった。

 

そんな自分に異常を感じて、躁うつ病を疑うきっかけになり、持続性気分障害と診断名が変わるまで至った。

他にも色んな躁病エピソードはあったけど。

 

だけど、今はデパケンのおかげか、声を荒げずに嫌味を言うだけで終わった。

 

風呂から出て寝る前に、父と妹が起きていたが0時だったので、リビングの2個あるシーリングライトのうち、廊下側の1個を消した。

別に一個消しても十分明るいし、母もいつも夜は片方消している。

そしたら階段を上ったところで、父に「なんで消したの?まだ起きてるのに」と呼ばれた。

 

私「だってもう12時だよ?こんな時間にこんな明るくしてたら目が覚めちゃうし、パパもそれで寝れないんだよ?電気代ももったいないし。」

 

そしたら、父は寝れない自覚があるのでたじろいでいた。

しかし、退くに退けないのか責められた。

 

父「そしたら一言いってから消してくれればいいじゃん、一緒に暮らしてるんだから、暗かったら点けてねとか…」

 

私「面倒くさ〜〜」

父「いやいや面倒くさいじゃなくて…」

 

そのまま階段上って自室に戻った。

 

だいぶ我慢したと思う。

だけど怒鳴りつけたい気持ちを我慢したという訳ではなく、自然とこういう対応になったのが、これまでの自分とは違うと思った。

 

でもやっぱり疲れたよ…

 

今日は色々と心が疲れる日だった。

家族とショッピングに行ったけど、妹はすぐ飽きて店出て暇そうにスマホいじってるし、母も唯一の休みで明日から仕事。疲れが取れないと言ってた。

私ミスったのかな、と思ったら少し落ち込んだ。

 

疲れてるのに断捨離を決行して、思い出深い品と対峙したのも心理的に負担が大きかったと思う。

 

父も躁鬱っぽいし、失業中でアル中で変な時間に寝てるので、今回の帰省中も調子悪そうに寝てる時が多かった。

今日は復活して、スペアリブを大量に買って仕込んで母に焼かせ、後片付けは母がするのに威張っていた。

 

昼の疲れと父へのうんざり感から、夜は鬱っぽいと自分でも気づいていたが、家族の前では明るく振る舞って、イチゴの後処理をして家族サービスに努めた。

 

デパケンは100mgと少ない量で夜だけ飲んでいる。

薬が切れて、疲れてたのに動きすぎてたのかもしれない。

 

それでも父を怒鳴りつけなかっただけ立派だったと思う。誰も褒めてくれる人がいないので、自分で自分を褒める。

 

こんなに苦しんでると分かっていてもやめられないのは、アダルトチルドレンが故の行動だし、嫌なところがあっても両親のことが好きだからだ。

辛くて苦しくて涙が止まらない。

 

明日は自分の家に帰る。

実家からの最寄り駅はローカル線で1時間に1本しかないが、父がJRの駅まで送ってくれるので、行きがけに一緒に昼ご飯を食べに行くことにした。

 

父も寂しさからおかしくなると思っているので、私はこれからもサービスをやめないと思う。