或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

DIYをやって思い出した昔の出来事、発達障害かと悩んだ過去、浮いてしまった原因を探る

※つらい過去の記憶を書いています。いじめなどのトラウマ系が苦手な方は閲覧注意⚠


初めてのDIY

充実感のある一日でしたが、帰ってから少し具合が悪くなってしまいました。

自律神経が乱れてる感じ、最近ずっと動いてた疲れが出たのかもしれません。

 


調子が悪いと昔の記憶が蘇ります。

定規を使っていて思い出した、小学校低学年の時の記憶。

 


定規で線の長さを測る授業で、他の子は5センチだと言っている中、私が測ったら1ミリ小さくて、4.9センチだと言い張って、理解してもらえなくて孤立して泣いた記憶があります。

 


私の測り方が間違っててズレたのか、私の定規がおかしかったのか、私だけプリントがズレていたのか、それとも本当にズレてたけど、みんな細かいことは気にしなかったのか…

今となってはわかりませんが、当時の私は、同調圧力というものを知らず、孤立して辛い思いをしてたのを思い出しました。

 


他にも似たようなエピソードがあって、富士山の絵を描く授業で、ひとりだけ富士山を灰色に塗って、みんなに「富士山は青だろ」と責められた記憶があります。

他にも緑色で塗った子もいたのに、その子は責められなくておかしいと思ってました。

 


このような出来事があると、自分は発達障害なのかな…と悩んだりします。

当時は発達障害という言葉も知りませんでしたが、高学年になるといじめが始まって、常に自信がなくおどおどした感じになりました。

それで声もこもった感じになったり、声変わりの時期も重なって、声が気持ち悪いとか、障害者かと思ってたと言われたりしました。

 


辛くて毎晩泣いてました。

 

 

でも今になって、ミリ単位のズレにも気づいて認めないのは、DIYのような緻密な作業には大事な素質なんじゃないか?と思いました。

 

絵だって本来は自由だし、富士山を好きな色で塗る自由もあれば、一般的な青でもいいし、目に見えた色で塗るのも自由であるはず。

クラスメートのみんなが青で塗る中、本来の色に近い色で塗ったのは、独創性という意味でも美術においては大事な素質だったと思います。

 

自分が発達障害かどうかは、病名をつけるのはお医者様なので分かりません。

でも、生きづらさを抱える要素も、場所が変わったら活躍できる素質になるかもしれません。

 

なぜ自分が浮いてしまったのか

鬱を克服した視点で考えてみました。

 

 

1.保育園の頃から友達を自分から作らず、妹とばかり遊んでいて、人からどう見られるか意識する機会がないまま成長してしまった。

 

子どもは幼少期に他の友達と衝突することで社会性を学んでいくので、友達をほとんど作らなかったことで、大きくなってから恥をかいてしまったのかもしれません。

自分が間違っているのかもと気づいて一歩引いたり、一般的な価値観や振る舞いを身につけるといった、トラブル回避行動が取れなかったのだと思います。

 

2.他人とのコミュニケーションが希薄だったので、少しの違いで「変な子」だと思われてしまった

 

何か作品を作る時に、友達と相談しながら作る子も多い中、誰ともコミュニケーションを取らずに作っていたので、他の子と違って浮いてしまう結果になったのかもしれません。

友達とコミュニケーションを取ることは、価値観の共有にも繋がるので、他の子と話しながら絵を描いていたら、少しみんなと違う作品でも受け入れられたのかもしれません。

よく知らない相手には冷たくなるのが人間なので、コミュニティを形成することは重要だったと思います。

 

3.こだわりが強く、自分の目に見えたものが正解だと思っていて融通が利かない性格だった。

 

クラスメートの似顔絵を描く授業で、次の授業で相手の服が変わったらいちいち描き直して、絵の具を塗った上から新しい服の色を塗っていたエピソードがあります。

 

今は自分でも理解できませんが、絵を描く時に見たものを100%表現するという強いこだわりがあったように思います。

これは強迫観念のようなものもあって、見たものをそのまま絵にしなければいけないという思い込みもあったのかもしれません。

そう考えると、何らかの認知の歪みが影響していた可能性もあり、発達障害というよりは愛着障害など、家庭環境や幼少期の経験が原因になった可能性もあります。

 

親や教師の些細な言動から完璧思考に陥ってしまって、自分の意思のない、100点を目指す子どもになってしまったのかもしれません。

 

また、周囲とのコミュニケーション不足で、ちょっとの違いは見過ごすとか楽をする、一緒にサボる、という考え方が身につかなかったのもあると思います。

 

なぜコミュニケーション不足になってしまったのか

 

妹と年子(1個違い)で仲が良かったからだと思います。

幼少期に親の仕事の都合で地元から離れていたのも影響してるかもしれません。

 

それと、女の子らしい遊びが好きじゃなかったので、周りの子より趣味が合う妹と遊んでる方が楽しかったのかもしれません。

着せ替え人形やままごと遊びなど、女の子らしいおもちゃで遊んだ記憶があまりないので、私がねだらなくて買ってもらえなかったのか。

 

それか、高いと言われて買ってもらえなかったのかもしれません。

お金のことで遠慮する性格なので、過去に欲しいものを買ってもらえなかった経験があったのかもしれません。

 

塾や習い事も、行きたいと言わなかったので一切通ってませんでした。

お金のことで遠慮してたか、外で遊んでる方が楽しいと思ってたのかもしれません。

 

これがコミュニケーション不足の原因だったのかもしれないと思うと、子どもがやりたいと言わなくても、周囲との共通の趣味や習い事はさせてあげた方が良いと思うようになりました。

 

【まとめ】

自分の幼少期の辛い出来事は、ほとんどが周囲とのコミュニケーション不足が原因だったと思います。

友達を作れなかった原因は色々とありますが、自分が子どもを持った時には、子どもの主体性だけに任せるのではなく、親の方から働きかけることも必要だと学びました。 

 

 

今日2本目の記事ですが、内容が暗いので分けてみました。

でも、暗い過去を掘り返して泣いてただけの前とは違って、原因を分析して文章化して、こうして公開できるようになったので、よくここまで変われたなぁと思います。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。