或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

働き続けるうちに病んで仕事が続けられなくなる件。IT職時代の職場運がなさすぎた説。

 

私はこれまでに仕事を3年以上続けられた経験はない。

新卒では1年半、2社目のSESも1年半、3社目は3年目に入る前にうつ状態になり、再起不能になってしまった。

 

もっとも、高校は商業情報系、専門もIT系で、1社目も社内開発で運良くスタートアッププロジェクトに携われた経験があったので…

年齢のわりに経験積んでると驚かれたこともあった。

 

ITは転職する度に年収も上がる傾向にあるので、3社目くらいで落ち着けると良かったのだが。

私の場合、働き続けてると病んでくるのが問題だった。

 

それは私が気づかないうちに、いや、気づきながらも普通を装っていた『持病』の影響もあると思う。

だけど、いま考えてみると、職場運なかったとも思う。

仕事を続けてるうちに、フォローしてくれる人がいなくなる傾向にあったのだ。

 

【目次】

 

1. 上司が入院して消えた!部長による強行リリース後にバグ発覚。潰れたゴールデンウィーク

 

1社目は古い体質の会社で、プログラマーとしての仕事だけしてれば良いという訳にはいかなかった。

そこには新人の役目、女性の役目を求められたし、電話対応とか荷物の受取とかプリント用紙リレーとか、まぁまぁ雑用もあった。

仕事に集中して周りを見てないと注意され、御局に年賀状でも嫌味を言われた。

病んだ。

 

学生時代は精神不安定で、ネトゲTwitterに依存して昼夜逆転生活をしながら、単位ギリギリで卒業した。

その昼夜逆転生活から、一気に9時出社の生活になったのだ。

そりゃ狂うわ。

 

ちなみに、研修期間中は寮から本社まで1時間半かかったので7時に寮を出ていた。

今思うと鬼畜すぎる。

 

急な朝方生活とストレスフルな職場生活からゲームに逃げるも、ゲームをやってると寝付けなくなる。

寝不足で仕事中に居眠りをして、女性上司に何度も怒られる。

そんなに寝たいなら休んで家で寝れば?と言われたこともあった。有給まだないのに…

ストレスでいつも吐きそうだった。

 

理解のあるオタク上司に優しく諭されて、どうにか変わろうと決意して、ネトゲを引退。

仕事中はブラックコーヒーを飲んで耐えた。

 

そんなこんなでどうにか仕事も軌道に乗って、運良くスタートアッププロジェクトに参加することになった。

しかも時代遅れなVBが主戦力だった会社で、Railsなのだ。

当時の上司が新しい技術が好きで、本当に運が良かったと思う。

 

1個目のプロジェクトは、Web側は上司とメンバー2人の3人。

リプレース案件だがデータは引き継がないので、ほぼ新規。

 

私はWebの管理画面を作りながら、もう一人が作ってくれた顧客画面を上手いこと参考にして、コールセンター用予約画面を作った。

リリースもやらせてもらった。

 

2個目のプロジェクトも同様のリプレースだが、Webの開発は私だけ。

入社1年目にしてフルスタック。

 

しかもデータを引き継ぐのでRailsではちょっと厄介だった。

複合主キーに対応してないのだ。Gemを入れて対応する必要がある。

Composite Primary Keys を入れて、モデルにキーの定義をする。

その複合主キーの定義がミスってたことに、私は気づかなかった。

 

1ヶ月そこらで開発はほぼ完了した。

ここで悲劇。

上司が入院した。

 

 

プロジェクトは一旦停止となった。

私は他のことをしながら待機していたが…

 

部長「もうリリースできる?」

 

そしてリリースすることになった。

 

リリースのやり方は分かっていたし、インフラ部門の責任者も立ち会ってくれたので、少し安心しながらリリースした。

 

しかし悲劇が発生する。

複合主キーの定義がミスってたが故に、予約キャンセル時に関係ないデータが消えてしまっていた。

しかも、物理削除。

 

こうして原因特定作業とデータ復旧作業に追われ、私のゴールデンウィーク前半は失われた。

削除されたデータがそれほど重要性の高いデータじゃなかったことだけが救い。

 

当時は自分の責任だと強く思い、ひどく落ち込んだ。

だけど今となっては、他者にテストも依頼してない、責任者不在の状態で、部長の判断で強行リリースしたのが原因だと思う。

 

上司は尊敬できる人だったが、入院していつ戻ってくるか分からない。

その上司以外に尊敬できる人がいなかったので、いないうちに転職を決意してしまった。

 

他にも色々要因はあったけど。

実家で親と上手くいかなかったとか、遠距離恋愛の相手を追いかけたとか…。

地元を出る判断自体は間違ってなかったと思う。

 

 

2. そもそも私は入社していたのか?夫婦でやってる会社。入社手続きもなく仕事も決まらず、1社目の雇用保険の書類パクられて終わった。

 

2社目は、転職サイトで激しいラブコールをしてきた会社。

夫婦で経営してる会社だった。

 

当時の彼氏と一緒に住むのにおすすめな駅とか教えてくれて、未熟だった私はすっかり心を奪われてしまった。

 

しかし、入院してた上司が戻ってきた時に、その転職先を伝えたらものすごく反対された。

待ってやるから他の場所探せとも言われた。

 

「エンジニアの数は足りないけど、エンジニアの会社の数は足りてるんだ。」

 

というようなことを言われた気がする。

つまり、小さい会社だと入札に負けるらしい。

その通りだったと思うし、今思うとすごく優しい上司だったと思う。

 

だけど、当時の彼氏にそれを伝えたら、上司が引き止めるのは当然だと。

転職先の社長が彼氏のことも考えてくれてたことにすっかり心を奪われてしまったようで、その会社に入ること以外考えられない様子だった。

私はその会社に入社を決めてしまった。

 

しかし、案の定仕事が決まらない。

それどころか書類を提出しただけで入社手続きもされないということで、このままで本当に大丈夫なのだろうか?と不安を抱えていた。

ストレスから貯金を切り崩してスマホゲームに廃課金した。

その後、同時期に入社したもう一人の社員が退職したと聞いて、私も退職を決意。

以前、内定をもらっていた会社にダメ元で連絡したところ、状況を理解してくれて、入社させてもらえた。

 

しかし、雇用保険の書類が必要なのに返してくれない。

LINE無視された。

なくてもなんとかなると言われて事なきを得たけど…

 

その後、口コミサイトを見たら、やめたもう一人が悪いレビューを書いていた。

私も悪いレビューを書いたが、その後見たら、社長と思しき人物がサクラレビュー?を書いていた。

 

あと、お金のことばっかり言う人は駄目みたいなこと書いてた気がする。

いや、お金のことを気にするのは当たり前なんですが?

仕事決まらない間もこっちは生活があるんだけどな…

 

結論、夫婦でやってるよくわからん会社は怖い。

あとは使い古された言葉だが、面接のその場で内定を出す会社はヤバい。

 

この項の最後に、今でも覚えてる上司の名言をもう一度書いておこう。

 

「エンジニアの数は足りないけど、エンジニアの会社の数は足りてるんだ。」

 

 

3. 元請けが撤退して詳しい人が消えた!夜間リリース後に関係ないバグで呼び出され、突発性難聴になる。

 

ようやく『本当の2社目』に入社した。

2社目はSES、いわゆる派遣型正社員だった。

本社に社長室と事務室しかない感じの会社。

 

待機期間中も給料を出してくれた。助かる。

 

そして無事派遣先プロジェクトが決まる。ASP.NET C#ECサイトだ。

.NETは前職でも少し触っていたし、C#も少し触っていた。

RailsをやってたからWebいけると判断されたらしい。

当時の元請けのリーダーは、面談後に「絶対に採った方がいいです」と言ってくれたらしい。

 

経緯としては、当時の元請けが撤退して、別の会社にプロジェクトが引き継がれるということだった。

どうやらそのリーダーが退職するらしい。

私は、その引き継ぎ後の会社のメンバーとして派遣される感じ。

 

しばらくは引き継ぎ先の本社の作業で、リーダーに説明を受けつつ、リリースする機能を共に開発した。

リーダーはとにかく手の動きが速い。カルチャーショックを受けた。

都内のエンジニアはこんなにレベルが高いのか…と。

 

ちなみに、Excelサクラエディタの置換機能を駆使して、ソースに変換するという術を使っていた。

私もその術を身に着けた。

 

別の意味でもカルチャーショックを受けたのは、出勤時間が9時半でちょっとゆっくりなのと、出勤後に朝ご飯食べても許されること。

うっかり居眠りしても何も言われない。

みんな自分の作業に必死。周りのことを気にせずプログラミングに励むことができる。

 

その人のことはすごく尊敬していたが、探さないで下さいと言って消えてしまった。

 

最後の日はなぜか年齢を聞かれて、25だと答えると

 

「ごめんもっと上だと思ってた…

あっ!技術的な意味でね、その歳でその経験はすごい」

 

と言われた。女性の年齢のことなので、必死でフォローした様子。

どうやら私の技術力をすごく買ってくれてたらしい。

 

もしもっと給料いいところ行きたかったら…と、リーダーの会社への転職も勧めてくれた。

まぁ辞めるけど…と言いながら。うん、説得力ない。

 

 

3.1. 衝撃的な事件、親会社のリーダーが意識不明になる

 

一緒に仕事をしてた親会社のマネージャーがある日、出勤しなくなった。

食後に立ち上がってら突然痙攣して、吐いた物を喉に詰まらせて意識不明とのこと。

 

あまりにも衝撃的だったので当時の彼氏にこのことを話したら「どうでもいい」と言われた。

こっちとしては、一緒に仕事してた人の不幸だというのに。

別れて正解だったな。

 

ともかく、このことでマネージャーが結構年齢が上の人に交代になった。

新しいマネージャーは頼りなくて、私も強く言ってしまったことも何度もある。

今思うと申し訳なかったな。

 

 

3.2. 客先常駐になる、そして突発性難聴

 

途中から、顧客の意向で客先に勤務することになった。

ちょっと記憶が曖昧で、この時はまだ元親請けのリーダーは居たのか、もう居なかったのか、記憶が定かではない。

 

だけど、リリース後に作業者本人が復元作業をしたのだから、頼れる人はもう居なかったんだと思う。

 

リリース前は激務で、22時くらいまで働いてたような記憶がある。

夜間のリリース後に不具合が起こって、寝てる中で起こされて急いで出社した。

結局、私が担当した箇所は関係なくて徒労に終わったのだが。

一応感謝はされたが、感謝されても疲労が無しになる訳ではない。

 

音の聞こえ方がおかしくなった。

左耳だけ男性の低い声がガンガン頭に響いて不快だった。

それと、耳が詰まったような感じ。

 

ネットで調べまくってもよく分からなかったが、耳の病気は怖いと知ってたので、耳鼻科に飛び込んだ。

結果、『低音障害型感音難聴』だった。

ネットで調べただけでは難聴だと分からなかった。

 

甘苦いゼリータイプの薬を摂って無事回復。

聴力は少し落ちたが。

 

こういう突発性難聴は繰り返すと聴力が少しずつ落ちていくし、治療が遅れるほど聴力にも悪影響があると言われてる。

できれば、ストレスや身体に負担をかけることは避けたい。

ちなみに脱水も良くない。

 

3.3. 有給が多くて目をつけられる。責任の所在と仕事量の波に病んで仮想通貨で大損する。

 

リリース後はさすがに人手が足りなくて、新しく人が追加された。

その人が出来る人で、リリース後の不具合や動作不良など、顧客の要望を手分けしてしらみつぶしに対応していった。

 

不満だったのは、作業者以外でテストしてくれる人がいなかったこと。

客先の担当者に頼んでもテストしてもらえずに放置されるし、部長にはテストしてないことを責められる。

まともにテストする会社でやってこなかったから、テストケースとかよく分からないんだ…すみません…

 

あと作る側の心理としては、システム壊して問題起こしたくないから正常系ばっかりのテストになってしまうという。

脆弱性を突く攻撃のペイロードも知らなかった。

知らず知らずに反射型XSS脆弱性を埋め込んでしまって修正することになり、おかげで開発目線のセキュリティの知識はちょっと身についたとも言える。

 

 

そして激務で風邪をひき、耳鼻科で対処療法するもこじらせてしまい、内科にいくと細菌性の風邪で4日間の休みを言い渡される。

 

そんなこんなで体調不良気味だったり、私用で有給を使ってたら、稼働が少ないことを客先の部長に目をつけられる。

 

マネージャーにそのことを言われて正直に伝えるが、部長によく思われてないことを知って落ち込んだ。

所属会社に相談したら、有給は気にせず取っていいと言われたが。

 

また、作業量に波があるので暇な時期が来て、暇でも客先に拘束されることに不満を持ったりと、どんどん精神が不安定になっていった。

派遣で中抜きされてることにも不満を持っていたと思う。

 

そして、現状を変えたい思いから冷静な判断ができなくなったのか、仮想通貨にハマり大損をする。

仕事が暇だったから、職場のトイレでもチャートを見たりしてた。

結果的に、先方の意向で1年未満で派遣契約は終了になった。

 

次の派遣先でも、自尊心が傷ついた状態でのスタートだった。

子宮頸がん検査に引っかかったり、さらに当時の彼氏と別れて精神不安定になったり、メンバーの体臭がきつくて生理的に無理だと思ってしまったり、上司が尊敬できなかったり。

チームで上手くやれないストレスのせいか仕事をサボりがちになって、どんどんおかしくなっていった。

 

この頃、別れた元彼が干渉してきて、元彼の転職先の面接を受けて入社することになる。

 

4. 社長のワンマン。長くなる繁忙期に残業の強制。文句を言うと干されるアットホームな職場。

 

見出し書いてて寒気がしてきた。

アウトソーシングサービスの会社。

面接の時に、経歴を震える声で話したら、副社長に「完璧やん…」と言われたけど。

 

うちは決してホワイトではない、繁忙期は力を合わせて仕事をすると言われた。

それでもいいと思って入社した。

 

ベンチャーなので若手が多くてフレッシュだったし、よく社長が昼ご飯連れてってくれたり仕事終わりにカラオケに行ったりと楽しい会社だった。

だけど、元彼に未練があったのでひたすら病んでいた。

1年ほど泥沼にはまり、その後は社内で新しい彼氏ができた。

 

女性陣との距離感にも悩んでいて、親睦を深めるために女子会を企画したりと、色々頑張ってたと思う。

 

最初は開発をやっていたが、周りの人が忙しそうなのに自分だけ仕事量に余裕があると焦ってしまい、忙しい業務への参加を申し出た。

 

初年度は良かったが、人が増えるにつれてどんどん仕事が忙しくなっていった。

さらに、私が残業を避けていると、終業直前に上司が仕事を振ってきた。

急ぎの作業とは思えなかったため不快に思いながらも終わらせた。

翌日「残業に慣らすため」みたいな理由だったと聞いた。

 

前職で突発性難聴になったから、と身体的な理由で残業をしたくないことを伝えて、一応は納得してもらったが…

 

その後、コストを抑えるために私の担当業務で使ってるツールを安いものに換えることになったが、精度が低くて誤検知が多く、目視でのチェック作業が莫大になってしまった。

しかも、他のメンバーで分かる人はほとんどいない。

 

上司もフォローしてはくれない。

というか上司も忙しいのか、チャットで聞いても半日くらい放置されたりするので、頼れなくなってしまった。

 

なので、同じエンジニアチームのリーダーや、自分より後から入社した詳しい人に頼るしかなかった。

それでも、みんな忙しいので最終的には自分でやるしかない。

 

頼れる人もおらず、休めないという重圧で潰れそうになり、身体にも異常が出て風邪が治らなくなった。

 

仕事が増えたにも関わらず、終わりも示さず、具体的なリターンの提示もないまま「絶対に後悔させないから」という社長の熱いスピーチに内心冷めていた。

彼氏ができてプライベート重視になったのもあり、会社命の経営層とは考えが乖離していき、どんどん不満が溜まっていった。

 

そしてチャットで愚痴ってるのを上司に見られ、役員の前で呼び出された。

そこからは完全に壊れてしまった。

ある日起き上がれなくなり、うつ状態と診断された。

 

正社員として再就職するのも、ITエンジニアとして再就職するのも、前向きに考えられなくなってしまった。

 

ちなみに、私がドロップアウトした後もしばらく残ってた彼氏も、同じく反抗的で干された。

彼曰く、結局繁忙期に終わりはなく、繁忙期並の忙しさが常態化してしまったようだった。

 

その彼は誰もが知ってる大手に転職したので、当時の上司は見る目がなかったと思っている。

今の夫である。

 

 

5. 長い療養と異業種バイトを経てプログラマーバイトでIT復帰するも、設計書が息してなかった。仕様は上司の頭の中にある…!

 

なんかもうこの辺は過去記事にも書いたからもういいやって思ってくるけど…長くなりすぎた。

 

最初はWebのフロント系でデザインの変更などの作業が多かったので、難しくない作業で達成感を味わえた。

 

途中からクラサバで、未経験のフレームワークの開発を担当することになってしまった。

いま思うと、週20時間でうつ病持ちには負担が大きすぎた。

 

しかも設計書がスカスカで仕事が進められない。

仕様書がアップデートされてないから、常にチャットを見て自分でメモしないといけない。

人を頼るのが苦手な性格で、リモートワークだと余計に質問しづらくて悩んだりした。

 

詳細設計書に、データベースのどのテーブルを操作するとか書いてない。

質問したら「DB定義書に書いてあるので書くまでもないと思ってた」

 

は…?

 

しかも、リーダーと上司の間で仕様の認識に食い違いがある。

 

私「この画面ですか?」

リーダー「そうです」

上司「いや違う」

 

1日2回、数時間に及ぶZoomミーティングで仕様の説明をしてもらってようやく理解した。

 

仕様は上司の頭の中に隠されていたのだった…

上司は高圧的な言い方をする。

「それは違う」「間違ってる」という言葉を多用するからカッとなって言い返したりした。

何時間ものミーティングで、私の心労は限界に達した。

 

私は壊れた。

翌日、仕事をしようとしたら動悸が激しくて無理だと思った。

辞めることは何度も考え、1年もやってないのにと思ってだましだまし続けていたが、もう無理なんだと悟った。

 

あれだけ辞めたかったのに、もう働けないということが悔しかった。

 

また再起不能になってしまった。

そして今に至る。

 

躁鬱と分かって…

 

私は最近、持続性気分障害と診断された。

プログラマーのバイトをしながら、翌日に支障が出るのに夜ふかし癖がやめられず悩んだり、デジタル絵を描くと仕事終わりなのに5時間ぶっ通しで作業できてしまうことに、自分でも驚きと恐怖を感じていた。

それで躁うつ病を疑うようになった。

 

主治医に伝えるのは勇気が要ったが、過去に浪費などもしてきたので、もう間違いないと思った。

それに、躁鬱では仕事の条件なども考え直さないと、また過ちを繰り返してしまう。

 

診断名が正しいかどうかは分からない。

だが、昔も気分循環症を疑ったことはあった。

 

今は軽躁状態だと思う。夜中にこのことを思い出して、5時間近く書き綴ってるのだから。

 

学生時代の眼科受付のアルバイトや、療養期のペットショップのアルバイトは苦痛じゃないと思った。

ITや正社員にこだわらなければ、きっといい職場は見つかる。

 

だけど、これまでの経験や、年齢のわりに評価してもらえたこと…

男性社会で30代40代が多い職場で、20代女性で周りと対等か、それ以上にやってきたこと。

これを思うと、今までのようにやれないことが悔しい。

 

私はこれまで、プライドを捨てれば楽になれると思っていた。

だけど、悔しいって思うのも無理はなかったと、振り返ってみて気づくことができた。

 

友人は「職場とか上司が悪かった」と言ってくれたが、私はIT業界自体に前向きなイメージを持てなくなってしまって、しばらく悩んでいた。

 

業界に関係なく人との相性は避けられない問題だと思う。

それが、ITではこうも多いものかと絶望したのだ。

 

それに、私自身の病気で、これまで出来てたことが突然できなくなる、気分やパフォーマンスにムラがあるというのが、これまで苦しんできた原因だったとも思う。

 

自分自身では出来ると思っても、身体が追いつかない。

心と身体がチグハグな感じ。

それを理解せずに普通の人、出来る人を演じてきたから、仕事の要求が増えていって対応できなくなってしまったとも思う。

 

そして子どもっぽくヒステリーを起こし、周りが離れていく。

仕事では『干される』。

 

それか抑圧されて再起不能になる。

抑圧されるとその後のダメージが大きいので、早めに逃げないといけない。

だけど逃げられないので、会社選びの時点で慎重にならないといけない。

 

正直、もうITでやってく自信がないのだ。

親に遠慮して全てを諦めて、妥協と現実的な理由で選んだIT職。

始まりが不本意だから思い入れもそんなにない。

だけどやはり悔しい。

 

何が正解かは分からない。

競争社会のレールに乗ってしまったこと自体が間違いだったのかもしれない。

だけど、進学の可能性を与えてくれた教師には感謝している。

子どもの頃から壊れていたから、遅かれ早かれ腐る運命に代わりはなかっただろうけど。

 

 

終わりに

 

何度かこのような記事を書いているが、だいたいは躁状態での勢いと観念奔逸で書いてるので、ここでの考えや意気込みはあまり実現出来ない。

 

だけど、書く度に自分の考えが少しずつ整理されていく感じがする。

ITをやめたい理由はなんとなく分かっていたが、離れるのに抵抗がある理由も分かった。

 

あまりにも赤裸々で、知り合いが見たら特定されるんじゃないかと思うけど、既に書いてるし。

もう私は十分すぎるほど失ってしまったから、これで何か得られることに賭けたい。