私は4年制の専門学校を出て23の歳でITエンジニアとして就職し、三度の転職を経て、28になる年でうつ病になり、社会からドロップアウトした。
2年ほどの療養を経て、アクアリウム、小動物系のペットショップのアルバイトとして社会復帰した。
その後、週3でプログラマーのアルバイトも始めてダブルワークになり、結婚と引っ越しを機にペットショップは退職。
しかし、うつの再発で32になる今年に、再度社会からドロップした。
さらに躁うつ病が発覚、診断名も変わり、精神障害者保健福祉手帳も2級になった。
今月で失業保険の受給期間が終わる。ハローワーク職員には、障害年金の申請を勧められた。
私は結婚しており、夫はそこそこ収入があるので、所得制限などに引っかかるのではないかと思ったが、どうやら障害年金は特別な事情を除いて所得制限などは無いようだった。
夢がなかった学生時代
私は、小さい時は「大きくなったらケーキ屋さんになりたい」と言っていた。
その後、ケーキ屋さん(パティシエ)になるには専門学校などに進学する必要があると知り、我が家は家計が厳しいと思い込んでいたので、両親に何も言われてないのに自ら進学を諦めていた。
習いごとも諦めていた。一瞬だけ進研ゼミをお試ししたことがあるくらいだったが、「授業と同じことやるなら意味ないじゃん」と思ってやめた。
私は記憶力が良く、小学生の時は宿題を一切やらなかったが成績は上位だった。
だけど勉強嫌いで、進学はお金もかかると思ってたので、高校は偏差値の低い市立の総合学科に進学した。
高校では、PCゲームが好きだったという理由だけで情報系を選択したが、勉強はそれほど難しくなく、無双状態だった。
それ故に勉強が楽しくなり、商業系の資格をどれだけ取れるか挑戦していた。
中学は荒れてて授業にならなかったしゲームのやりすぎで成績もガタ落ちしたが、高校は平和で5教科も授業の教え方が上手かったので、成績もまた良くなった。数学だけは苦手だったが。
そしたら、特に好きだった生物の授業の先生から進学を勧められ、両親にも話して、県内の国立大を特別推薦で受けることに。
不眠不休で小論文の練習をするも、結果は撃沈。母とともに説明会に参加し、県内の専門学校が学費免除制度があることを知り、そちらに入学を決める。
決め手は、母の言う「システムエンジニアになれば仕事に困らない」という言葉だったと思う。
専門学校は県内とはいえ実家から遠いのでアパートを借りていて、生活費はバイトで稼いだ。
すき家でバイトしたが、不機嫌なおばさんと、私にだけあたりが強いパワハラ先輩と、私が断れないのをいいことに他店のヘルプばっかり頼んでくるマネージャーに疲れて、途中でやめて眼科の受付をやってた。土日祝フルで。
今思うと、貴重な学生時代の休日を全部バイトに捧げたのももったいなかったと思う。おかげでゲーミングPCとか買えたし、エステで脱毛とかもやってたんだけど。
高校では資格の勉強も楽しんで、専門でも応用情報までは取ったが、友達ができてからは勉強は二の次になってしまった。
私は勉強という自分の実力を見せつける場よりも、友達と遊んでる方が幸せだったんだなと今は思う。
当時付き合ってた彼氏の影響で病んだのもあり、ゲームやTwitterに依存して昼夜逆転生活になり、単位ギリギリで卒業した。
就活は最初に受けたかった会社からのレスポンスが悪くて全然進まず、同時進行とかもしてなかったのでギリギリになったが、無理を言って受けた地元の会社に内定をもらって入社した。
その後は、会社運がなくてどこも長くは続けられず、今年の1月末にドロップアウトしてからは、まだ社会復帰できていない。
働けたら幸せなのか?
私は働けないのが悔しいと思う。それは20代でフルスタッフエンジニアになり、セキュリティの領域まで踏み込んだ経験がそうさせている。
だけど、今はもうIT業界に前向きな印象は持てない。
それに、まだ働ける状況ではないらしい。
今は、抗躁作用のあるデパケンRと眠剤を服用しているが、時々鬱になるので、気分を上げる作用のあるエビリファイを始めたら、ものすごく調子がよくなったと思いきや躁転してしまって服用中止になった。
エビリファイをやめて過ごして、それでいけると思ったら働き始める、そういう風に主治医は言っていた。
夫は私に働いてほしいと思っている。給料はそこそこあるが財布は別で、お互い趣味にお金を使いたいし、いずれ子供を、と考えるといくらあっても足りない。
私は躁鬱であることと、実家で欲しい物を我慢してきたのが爆発してから金銭感覚が壊れてしまい、基本的に貯金はできない質で、今も貯金がない。
働けないことで、また非正規雇用になることで、自由にお金を使えないというストレスもある。
今は収入が途絶えようとしているので、しばらくは夫に頼ることになる。
障害年金を受給できれば、収入面での悩みは少し軽くなる。病気により、働ける時間や環境が制限されることでの給料面での悩みとかは解消されるかもしれない。
だけど、正直葛藤が大きい。
財布が別であること、これまで働けたのが働けなくなったことでの自尊心の傷、個人的な消費欲求…
それで公的な資金を頼ることには葛藤がある。悩めるだけ幸せなのではないか?とも思う。
プライドを捨て、働くことも諦めて、専業主婦として生きられたら幸せなのだろうか?とも悩む。
私は友人も少ないし、人に頼れない性格なので、失業して社会との結びつきが途絶えたことで、精神状態はどんどん悪化してしまったと思う。
だから働いた方が良いのだと自分でも思っているが、これまで働いてきて、果たして幸せだっただろうか?
IT業界では、働いて幸せだった出来事よりも苦しかった記憶の方が強い。仕事以外にも、社内での人間関係にも精神をすり減らしていた。
社会との結びつきと言うが、私は一人で居たほうが楽なのではないか?とも思った。
だけど、孤独感には堪えられない。そんな矛盾をはらんでいる。
人間関係を他にも作れたら良いが、手っ取り早く作れるのが職場だと思う。
それに、働いていないと同級生の輪の中にいても、なんだか居心地の悪さを感じるのだ。
幸せじゃなくても働かないといけない、そう思っている。
働くことの意味
働けさえすれば幸せなのだろうか。
そんな疑問をGoogleにぶつけてみて、知恵袋でいろんな人の悩みや回答を見てみた。
そこに、心に響いた回答があったので、概要を載せておこうと思う。
仕事は給料を稼ぐ場でもあるが自己実現の場である。
自分にしかできない仕事であれば給料は高く、そうでなければ給料は安くなる。
自分の能力を社会が必要とする場で発揮し、正当な報酬を頂くのが仕事。
仕事はやらされるものではなく、自らするものである。
そういう考えを持てば、仕事があるだけ幸せなんて言葉は出てこない。
私は、人に感謝される仕事を、自分に向いている仕事をやりたいと思っていた。
その仕事探しが大変で、失敗体験の後で前向きに考えられなくなっているのだと思った。
働けさえすれば幸せになる訳ではない。
自分の能力を発揮し、正当な対価を頂くことで幸せにつながるのだろうと思った。