或る人の記憶

生きづらさを抱えた人間が日々感じたこととか買ってよかった物とか作ったごはんとか色々書いてくブログです。

私の夢

できなかった「夢」

私は音楽活動をしてみたかった。

習い事を特に何もしていなかったから、ピアノを習ってた妹への憧れもあったのかもしれない。

元々内気で人見知りで、更にいじめられて自信をなくして、人前に出るのは考えられなかった。

真面目なので合唱だけは頑張っていたけど、声変わりや自信のなさによるどもりから「声が気持ち悪い」とよく陰口を言われていたことを知って、声がコンプレックスになった。

 

歌うのが楽しくなったのは、友人とカラオケに行くようになり、さらに倖田來未の曲と出会ってからだった。

初めはカラオケやプリクラがそんなに好きじゃなくて、ゲームをしてる方が楽しくて、友人からの遊びの誘いを断ってたら無視されて仲間外れにされたこともあった。

そこから断れなくなったというのもあるけど、ファイナルファンタジーⅩ-Ⅱの曲が収録されたアルバムを父が買って聞くようになり、私もMDPlayerを買ってもらって聴き始めたので、音楽を聴いたり歌うことの楽しさを知っていった。

 

ソプラノパートで元々高い声が出せたのと、音感があったおかげで歌も上達していった。

倖田來未はビブラートやシャウトを駆使した曲も多く、歌い方をマネしていたら自然とテクニックも身についていった。

 

専門学校に進学して、そこでできた友達ともカラオケに行くようになった。

そしたら上手いと驚かれて、そこで初めて自分が歌が上手い方なんだと気づいた。

それからALI PROJECTやボカロと出会って、難しい曲に挑戦して、声域はさらに広くなった。

 

当時はTwitterに没頭してたので、ツイキャスヒトカラ配信したりして、ゲームでつながったフォロワーに聴いてもらったりしてた。

視聴者数はだいたい一桁だったけども。

フォロワーとオフ会でカラオケに行ったこともあったけど、社会人になった時にゲームをやめて、アカウントを消して関係を切ってしまった。

 

一度、歌ってみた動画を出してみたくて、ソニー製のそんなに高くないマイクを買ったこともある。

ミックスもしてみたけど、挑戦した曲が難易度が高くて、素人のミックスだとなんとも言えない仕上がりだから、とても出せないなと思ってお蔵入りにしてしまった。

 

4年生の頃の学祭ではカラオケ大会が開催されてたので挑戦してみたけど、緊張で声が震えてたみたいだし、古い曲でみんな知らなかったから空気も微妙だったと思う。

司会の人はたまたま知っててフォローしてくれたけど、歌い終わった後、早く消えたいと思った。

 

それから10年経った今でも、まだ音楽活動への憧れはある。

昔は明らかにメンヘラだったけど、今は色んな曲を聴くようになったり、自分の歌い方のよくないところにも気づけるようになって、聞き苦しさは減ったんじゃないかと思った。

今はVTuberとか顔を出さないアーティストとか、色んな人が活動してるから、それに影響されてるのもあると思う。

 

32歳になってしまって、今更できるのか、需要あるのかって思っちゃうけど。

Reolの第六感の歌詞にもある『今が一番若いの』という言葉を思い出すと、何事も今がラストチャンスだと思った方がいいのかもしれない。

 

やらない理由はたくさん出てくる。

身の丈にあってないという、誰かの言葉の刷り込みだとか。

はたまた、軽躁状態の気の迷いじゃないかとか。

勢いで始めても、色々気にして苦しむことになるんじゃないかとか。

 

芸能人と一般人の違いは、生まれ持った物もあると思うけど、行動を起こせるかどうかが一番大きいと思っている。

学校ではうまくいかなくても、芸能人になったら大活躍なんて人はたくさんいると思う。

発達障害精神疾患を抱えながら活躍しているYouTuberもいる。

 

要は、持って生まれた物や努力で身につけた物に、自分や周りがどれだけ気づいてプロデュースできるかどうかが、表で活躍できるかどうかに関わってくるのだ。

 

私は内気で受け身で自信もなくて、親にも遠慮がちで夢のない子どもだったから、華やかな仕事なんて選択肢になかった。

進学したら学費もかかるし、高校を卒業したら適当に働こうと思っていた。

高校の理科の先生が進学を勧めてくれて、初めて進学の道を考えることができた。

 

進学先に学生バンドでもあればよかったんだけどITの専門学校で、2年で卒業する人も多いし、インドアでバンドに興味なさそうな人ばっかりだったから、特にそういうのもなかった。

 

大人になってからも音楽の趣味を続けられる人は、元々やっていた人が多いんじゃないかと思う。

新しい趣味を始めるのってなんとなく勇気がいるし、習い事や機材を揃えるとお金もかかる。

 

私は4年前にうつになって、会社員という人生のレールからドロップアウトした。

そこからバイトになったけど、うつが再発して、更に躁鬱も発覚した。

1月末に仕事をやめて半年以上経つも、まだ働けていない。

 

失業保険も切れたので、夫からのお小遣いで趣味の費用をやりくりしてるけど、浪費が多いのでオーバーしてしまう。

臨時収入でどうにかなっている感じ。

この浪費も、子ども時代に親に遠慮しすぎた結果だとか、軽躁状態の症状だとか、根深い物があってなかなか抑えられない。

 

リサイクルショップでギターを見つけたり、音楽教室のチラシを見て考えたこともあったけど、実を結ぶかどうか分からない物にお金をかけられないな、と思ってしまった。

精神科の薬を飲んでいて自分で車も運転できないから、習い事も厳しそうだというのもある。

 

私の父親は、買い物する時に細かく計算して、何年で元が取れるとか考える人だった。

母は、事あるごとに「高い」と言って欲しいものを買ってくれなかった。

そんな両親だから、損得勘定が強くなりすぎて、純粋にやりたいことや夢を追うことを諦めてしまったように思う。

 

夫も音楽教室に興味はありそうだったから、話せば考えてくれるかもしれないけど。

なんとなくそこまで前向きになれない感じ。

 

私は、自分だけの意思では新しいことは始められないのだろうなと思った。

誰か拾い上げてくれる人がほしいのだと思う。

夢は夢で終わらせておくのも、幸せの形のひとつなのかもしれない。

 

だけど、最近好きな曲があって。

林原めぐみGive a reasonの以下の歌詞。

“傷つくことは恐くない

だけどけして強くない

ただ、何もしないままで

悔やんだりはしたくない”

-林原めぐみGive a reason(作詞:有森聡美)』より引用

 

疾走感があって清々しい曲調に、聴く人を力づけてくれるような歌詞。

みんな強くないけれど、何もせず悔やみたくないから夢を追うんだと、そう思った。

 

ピアノができなかったのは本当に悔しくて、今でも思い出すと涙が出てくる。

ピアノだけじゃなくて、何も習い事をしてなかったことで、私は人付き合いも苦労してきた。

やりたいことをやりたいと人に言えない人間になってしまった。

 

今週のお題「ちょっとした夢」

音楽活動は、ちょっとした夢ではないと思う。

私にはハードルが高すぎるし、始めるのならば成果を残したいと思ってしまうから。

 

なら、私のちょっとした夢ってなんだろう。

人にやりたいことをやりたいと言える人間になることだろうか。

 

私はずっと受け身で生きてきた。

友人に「これやりたい」と誘うことはほとんどなかった。

一人でもいいと思っていたのかもしれないし、人を誘うという概念がなかったのかもしれない。

自信がないから、自分なんかが誘っていいのかと思っていた部分もあったと思う。

 

働けなくなって人と話す機会が減ってからは、趣味も手につかなくなり、これではいけないと思って友人を遊びに誘うようになった。

カラオケなら乗ってくれるが、新しい趣味に誘ったら皆乗り気ではなくて、落ち込んで泣いてしまった。

我ながら打たれ弱いと思う。

幼少期に健全な人間関係を送れなかったことで、大人になってから苦労していると思う。

 

新しい趣味なら、友人を誘うよりも、既にその趣味をやっている人をフォローするとか、趣味の場で出会う方がいいのかもしれない。

趣味が近い人で、一緒にやりたい趣味があるなら、あとは勇気を出すだけ。

 

その勇気がいつまで経っても出ない。

というかメンタルが乱高下中で、軽躁の時は失敗しそうだし、うつの時は気力もないから実行に移せない。

 

人と関わりたいというのも焦燥感みたいなものなので、安定するまでは焦らなくていいや、とも思ってる自分もいる。

最近はあまりにも調子が悪くて、気分を上げる薬を飲んだら、久しぶりに料理を作れたし、シンクの掃除もできた。

こんな状況では、人に声をかけるのも「ちょっとした」夢ではないと思う。

 

夢というか、やりたいことリストみたいなのはあるんだけど、書き出すとタスクっぽくなってしまう。

思いつくことと言えば、最近節制してるから、ケーキ食べ放題したいとか、早く痩せたいとか。

ポケ森しながらミニエアロバイク漕いでたら、前より太ももが引き締まってきた感じはあるので、早く甘いものを気にせず食べられる身体になりたい。

 

終わりに

私は既に夢破れた立場なので、夢のことを考えるのは、自分のトラウマと向き合ってるような感覚だった。

ここまで考えたのは、努力が必要な夢。

叶わなくてもいい、だけどほんの少し憧れていることといえば。

誰か手を取ってくれる人に出会えること、それが一番の夢なのかもしれない。

母の愛情が欲しかった私は、母の代わりになる存在がいつまでも欲しいのだと思った。